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東京地方裁判所 昭和44年(ヨ)2333号 決定

債権者

松野平

(仮名)

債務者

丸石建設株式会社

代理人

後藤昌次郎

外一名

主文

本件仮処分申請を却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

理由

一債権者の求める裁判

(一)  主たる申立

1  債権者が債務者に対し労働契約上の権利を有することを本案判決確定に至るまで仮に定める。

〈2ないし6及び(二)省略〉

二債権者の申請理由〈省略〉

三決定理由

(一)  労働契約―解雇の効力

1  債権者が昭和四四年五月中(以下年を示さないときは昭和四四年をいう。)会社に雇われ就労中七月一九日付同月二二日(到達の日は審訊の全趣旨により認める)の書面をもつて八月二〇日限り解雇する旨の意思表示を受けたことは争がない。

2  右意思表示が権利の濫用に該当するか否かを検討する。

(1) 事実

(ⅰ) 争のない事実及び審訊の全趣旨並びに〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

会社は資本金一〇〇万円、肩書地に本店、西千葉に支店を設置し、従業員数十余名をもつて建築業を営んでいる。会社には総務部と工事課がおかれていたが、建築士の資格をもち工事課を統轄する者がいなかつたので、会社は人材銀行を通じ建築士の資格を有しかような管理職に適する者を募集したところ、債権者はこれを了知し五月一九日債務者本店を訪れその代表者石塚茂に面接し、履歴書を提出した。これには債権者の本籍住所学歴のほか主なる職歴として

「昭和一〇年一〇月住友金属工業株式会社入社

昭和二〇年 八月終戦により同社退社

昭和二〇年 九月徳島県土木部建築課勤務技手

昭和二二年 五月徳島県技術吏員技師

昭和三六年 六月同県依願退職

昭和三六年 九月大日工業株式会杜入社技術部勤務

昭和三六年一二月同社退社

昭和三七年 一月建設業に従事」

と記載されてあつた。石塚は大日工業株式会社入社及び退社につき質したのち、「建設業に従事とあるがどのような仕事をやつてきたか。」と質問したところ、債権者は、「設計、積算、現場監督をたのまれてやつてきた。自分は一級建築士であつて積算を得意とし木造鉄骨何でもこなせる。」と答えた。

債権者は昭和三六年一二月大日工業株式会社を退職したのち昭和四四年五月会社に採用されるまでの八年足らずの間に東京都内所在の株式会社新井工務店、富士建設工業株式会社、有限会社匂坂建築設計事務所、三和建業株式会社、平野某の経営する会社、蔵王建設有限会社、株式会社三和土木、青梅建設株式会社、東進建設商事株式会社、斎藤建設工業株式会社、竹本工務店、株式会社宇田組、日本工建設計事務所外数人の建設業者に建築技術者として雇われたのであるが、債権者は権利意識が強くかつ建築の実務に弱い面もあるためか、いずれも一か月間から六か月間位の後解雇されている。

以上の事実を認めることができる。

(ⅱ) 争のない事実、審訊の全趣旨、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

債権者は雇入直後工事部(工事課を改称)管理者に任命され、会社において、石塚から設計図を与えられて建築工事費の見積をするよう命ぜられ、一般の建築士ならば数時間でできる仕事に一週間もかかり、その結果は必ずしも満足すべきものでなく、さらに現場監督も充分にできず、接客態度も横柄で顧客から苦情が出る始末であり、遅刻早退私用外出が目立ち、日常会話に法律の話が多いため部下から「最高裁の先生」という尊称を奉られ、仕事の上でも部下の信望を得られず、昭和四四年七月一二日管理者の地位を辞任した。

なお債権者は会社を解雇された後ある建設業者に雇われたが解雇され、現に他の建設業者の従業員として月収八万円を得ている。

以上の事実が認められる。

(2) 評価

労働者を雇入れようとする者が履歴書の提出を求め、その経歴につき質問をするのは、労働者の人格、職業上技術上の能力等を正確に把握して雇入の可否及び雇入後命ずべき労務の種類程度賃金等を決する資料を得ようとする目的に出るものである。とくに企業の幹部要員を雇入れるに当つては、その者の職業上技術上の能力もさることながら、その人格的信頼性及び企業における定着性もまた検討すべき重要な要素であることはいうをまたない。

ところで債権者は履歴書に住友金属工業株式会社、徳島県、大日工業株式会社に勤務したことを記載しながらその後の経歴につき「建設業に従事」とのみ記載し、石塚の質問にも前示のように答えたのであるから、通常人ならば債権者が自ら建設業を営んできたと信ずるのも無理はない。建設業が登録制であることはこの結論を左右しない。しかるに真実債権者は前記のように過去八年近くの間に少くとも十数人の建設業者に順次雇われてきたのであるから右履歴書の記載及び面接の際の応答は真実に反するものである。

債権者の右職歴は工事課の管理者という幹部要員としての人格的信頼性と定着性とを判旨するための重要な要素であつて、債権者も会社のこのような幹部要員として雇入れらるべきことは履歴更提出及び面接の際了知していたのであるから、右職歴の重要性を認識していたと推認できる。しからば債権者は重要な経歴をことさらにかくしたというべきである。

右経歴詐称のほか雇入後の債権者の職務上の能力、勤務態度が良好でなく、会社の事業規模上配置転換等の措置をとる余裕ありとは認められないことを参酌すれば、会社が債権者を管理職としてはもちろんその他の従業員としてでも引きつづき雇傭してゆくことに困難を感じたのは無理からぬことである。

しかも債権者はある建設業者から解雇されても日ならずして他の同業者に雇われてきたのであつて、この事実から推せば債権者はこれらの解雇により一応の経済的打撃を受けたにせよ結局再就職によりこれを償つてきたといえる。

そしてその事情は本件解雇についても同様と認められる。解雇権濫用の法理が、わが国独特の労働情勢を基礎としつつ、使用者の要請である解雇の自由と労働者の要請である最低限度の生活の保障との間に妥当な一線を画することを使命としている以上、このような事実関係のもとでは本件解雇の意思表示にこの法理を適用すべきものとは思われない。

3  よつて本件解雇の意思表示は権利濫用に該当せず、その効力を生ずべき筋合であり、これが七月二二日原告に到達したものの、解雇の日附が八月二〇日とされている点で、この意思表示は労働基準法二〇条所定の予告期間を遵守していないといわざるを得ない。しかし会社が同月二〇日付解雇を固執するものとは認め難くまた解雇予告手当をその後提供したとは認められないから、右意思表示は右法条所定期間の経過した後即ち八月二二日の経過とともに効力を生じたというべきである。

4  従つて債権者は現に会社に対し雇傭契約上の権利を有するとはいえないから、これあることの確認を求められない。(編注、以下(二)ないし(七)は賃金、予告手当、賞与、附加金等の請求についての(八)は賃金仮払の必要性についての各判断につき省略する)

(九) 結論

よつて債権者の申請は被保全権利又は必要性の疎明を欠き、しかも保証を立てさせて仮処分を命ずることも相当でないので、結局右申請は理由なしとして却下すべく申請費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(沖野威)

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